野太刀自顕流奥田派本部道場

本日は、当会の本部道場である都城市の都城島津邸で合同稽古を行いました。

 

現在、都城市は宮崎県ですが、明治期まで、島津氏の薩摩藩内であり鹿児島県でもありました。

 

島津氏は、島津荘の都城が発祥と言われていますが、実際には島津氏が来る約150年前に、野太刀自顕流の祖・伴姓肝付氏(伴兼貞)が島津荘を開墾しています。

その中でも直系子孫にあたる、大隅国・三俣院(都城市山之口・三股・高城)を治めていた南朝忠臣・8代肝付兼重が有名です。

 

また、明治期までの都城士族数は、薩摩藩内で最も多く、約1/2は士族(武士)でありました。

 

その都城隊は、武術に優れ、関ヶ原の戦い・戊辰戦争・西南の役・日清・日露戦争・太平洋戦争(硫黄島)まで活躍しました。

 

このような土地柄であることから、自顕流への知名度も高く、行政の都城市も積極的であり、薩摩武士の郷中教育に力を注いで頂いています。

今日は午前9時より稽古開始。あいにくの雨模様。しかし、都城島津邸には、古くから室内剣道場があり、この剣道場で稽古を始めます。正直、奥田派は非常に恵まれた環境下で、稽古できると自負しています。

 

そして、別府師範から基本技となる続け打ちを分かりやすくご教授頂きます。

昼からは、幸いにも雨もあがり、島津邸内庭にて、念願の露天稽古を行いました。

同門全員、士気高く必死に習得しようとする真面目な方々ばかり。別府師範も皆の想いに感化されて鬼師範と化し(笑)、一人ひとり、続け打ち連続100本を達成。

意外かもしれませんが、基本に忠実な形を習得すると、案外簡単に100本打てるんです。

続いては抜きの稽古。別府師範の説明の後、居合刀を使用して、如何にトップスピードで抜き上げるか!?そして、体幹が崩れないかを稽古していきます。

そして、10㌔近いユス木で鍛練します。自顕流で使用するユス木は、南九州で最も重く堅い樹です。

 

仕上げには、真剣と同じ位の細身のユス木を使い、ひと気合いで如何に最速で何回続け打ちできるかを修練しました。

息継ぎができないので非常に苦しい稽古です(苦笑)

稽古が終われば、島津邸内のカフェにて皆で遅い昼食会。稽古一遍ではなくて、このようなコミュニケーションも大切かと思います。今後の運営について有意義な意見が交わされました。

今回の本部稽古会は、とても楽しく濃密な稽古であり、門人の絆を深めるものでありました。

皆さまとこうやって稽古できたのもご縁かと思います。また、やりましょう!!

                            吉右衛門

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コメント: 1
  • #1

    たけちゃん (月曜日, 23 2月 2015 13:06)

    遠路お疲れ様でした。いい刺激になりましたね。後輩ができる→見られる立場→更なる修行が必要。
    うかうかしてられません。