白鳥神社奉納演武

本日は、宮崎県えびの市白鳥神社にて秋季例大祭が執り行われました。

えびの市は、古くは真幸院と呼ばれ、意外と知られておりませんが肝付家一族の北原氏が1300~1500年代までの200年間を治めていた土地柄です。戦国後期になると島津家が頭角を現し、肝付家は島津傘下となります。

この真幸院は、島津義弘公が29~55歳までの26年間、飯野城(えびの市)を居城としていました。

義弘公は信心深く、軍神である大和武尊を祀る白鳥神社に、戦の前には必ず先勝祈願に訪れていたそうです。

また、大和武尊が全国地方平定する際は、朝廷の警護を司り、天皇側近の大伴家一族(肝付家の先祖)が必ず従軍しておりました。実際に、大和武尊が東征した際に、肝付家直系筋である大伴武日命が従軍している記録が残されております。

一斉抜き

続け打ち

野太刀自顕流剣術とは、これだけ縁のある神社であり地域であることから、宮司様をはじめ地域の皆様のご理解を得られ、ようやく今年より当神社へ奉納演武を執り行うことと相成りました。

抜き相対

打ち廻り

来賓には、えびの市長様をはじめ多くの関係者の皆様がご参列され、宮崎県西や地域の方々にとっては、とても大切にされている神社だと感じました。

神事は、江戸時代の建造物である社殿で厳粛な雰囲気の中で行われました。

今更ながら、当会が目指す、縁のある神仏へ本物の技を奉納する方向性がちゃんとリンクしていたなと思います。勿論、この流派は、決して観客に郷土芸能のようにアピールするものではありません。

長木刀

奉納演武は、ご神徳のお陰か、また先祖守護神の賜物か、門人の気は十分にみなぎり、無の境地に達しているように察します。真剣抜刀をはじめ多くの技を静と動のメリハリをつけて淡々とこなしていきます。

特に、相対での撃ち合いでは、気迫ある演武となり、ダシの長木刀を真っ二つに折られるハプニングもありました。

これこそ、野太刀自顕流の御家芸である地軸の底まで斬り込む意地、そして一撃必殺の技であり、これを御神前にお見せすることができたのではないでしょうか。きっと大神様もお喜びになられたことかと思います。